GTOにも金八にもヤンクミにもなれなかった人のブログ

主に国語(現代文・小論文)の授業について

2019-08-12から1日間の記事一覧

【告知】 #垣内の小論文講座 について

お世話になっています。垣内玲です。noteに小論文対策の実践編的なものを書きたいなとずっと考えていたのですが、どうせだったら中高生とか大学生が書いたものを元にした方が面白いなと思いまして、もしツイッターのフォロワーさんで垣内に小論文の添削をし…

【高校生向け】現代文の読み方(超入門編)

書き言葉を理解する難しさ 現代文の文章は日本語で書かれているのになぜこうも難しいのでしょう。ひとつの理由は、話し言葉と書き言葉の違いです。話し言葉と書き言葉は同じものではありません。話し言葉は日本で生活していればある程度自然と身につきますが…

【高校生向け】小論文の書き方(超入門編)

小論文入試の目的 入試で小論文を課す目的は、大きく二つに分けられます。ひとつは、その大学の学生に相応しい能力があるかを測定すること。もうひとつは、その大学の学生に相応しい価値観と問題意識を持っているかを見極めることです。小論文で測定できる能…

評論文の指導について(2)

rei-kakiuchi-kokugo.hatenablog.com 前回からの続きです。 前回の記事で私は「評論は常識を疑うところから始まる」と書いたが、この表現は必ずしも正確ではない。常識を疑うことは、評論の始まりであると同時に究極の目的でもあるからだ。「常識を疑え!」…

評論文の指導について(1)

評論は常識を疑うところから始まる。「常識を疑うこと」の重要性は、それ自体が評論文の主要なテーマのひとつとなる。常識を疑うことは哲学の始まりであり、哲学の始まりは学問の始まりである。だから、アカデミズムの世界では常識を疑うことの意義が繰り返…

国語教師の役割について

我々は言葉を学ぶことで、世界を記述しそこに生起する出来事に意味と価値を付与し、他者と共同してコミュニティーを立ち上げることが可能になる。言い換えるならば、言葉の力とは個人がコミュニティーを形成するための資質の総体を指す。「国語力」とは、個…

現代文の授業の基本的な考え方

現代文の授業の目的を一言で言うなら、「筆者(作者)の視点・問題意識を内面化させる」という点に尽きる。高校一年生の教科書に収録されている評論、『水の東西』を例に考えてみよう。 「筆者が何を主張しているのか」を理解させることはそこまで難しいこと…

私の国語教育

国語教育とは、生徒が自律した個人として生きていくための土台を築き、一方で他者と共同し、コミュニティーを形成するために必要な対話能力を養うものである。自律した個人を個人として尊重し、その権利を保証するものが国家である以上、国語教育がナショナ…

論理的正しさと政治

もし私たちの理性が、「いつでも、どこでも、誰にとっても」正しいと同意されるような究極的な真理に到達したなら、その普遍的法則をあてはめれば、人間世界のあらゆる問題に対する適切な解を求めることができるとすれば、そのとき人間社会にはある種のユー…

論理の罠

「論理的思考力」なる言葉は、近年流行のフレーズではありますが、それがつまるところ何であるかについての理解が共有されているとは言い難いように思われます。厳密に考えるなら、論理的思考を身につけるには、いわゆる「論理学」を学ぶ必要があるのだと思…

謝罪の効用

少し前のことになりますが、アイドルグループのメンバーが男性集団から暴行を受け、なぜか被害者であるはずの女性が「謝罪」をしたという奇妙な事件が起こりました。 なぜ被害者が謝罪しなければならないのかと、巷間には運営会社の対応を非難する声で溢れて…

社会に「閉ざされた」学校を目指して

次期学習指導要領のキーワードとされる文言のひとつに、「社会に開かれた教育課程」というものがあります。詳しい説明は文科省のHPなどを見ていただくとして(詳しい説明も何も、「学校が社会から閉ざされてるのはよくないよね」くらいの意味しか無いように…

「国語」とは何を教える教科なのか

読むというパフォーマンスは、たった一人の観客に向かってなされる。それは教師だ。 文章の解釈には正解がある。教師の解釈だ。 理解や解釈の「間違い」は許容されない。 アメリカの国語教師ナンシー・アトウェルが、伝統的な一斉授業を批判して述べた言葉で…

自分の言葉を手に入れるために

書かせたものの添削をしていると、生徒の顔がよく見えます。 自分の体験に根ざした主張と、どこかで聞いた事のあるような一般論とでは言葉の重みが違うのです(「言葉の重み」などという客観的に測定する事の出来ない基準で生徒を比較するのは形式主義者たる…

綺麗事の毒

「子どもの個性を尊重しよう」「社会に貢献できる人材を育てよう」「子どもたちの可能性を信じよう」「一人ひとりの長所に目を向けよう」「思いやりの心を育もう」「互いを認め合おう」…教育関係者が好きそうな言葉たちです。他にもいくらでも書けそうですが…

GTOになれなかった話

僕は学校に馴染めない子供でした。小4のときに不登校になり、フリースクールや通信制高校を経て大学に進学しましたが、大学のコミュニティーにもあまり上手く順応できていたとは言えません。大学の同期で今でも交友のある人間は2人だけです。 典型的なコミ…

責任を引き受けるのは誰のためか

「空気を読む」という表現があります。国語の教科書に載っている評論文などによれば、これは現代の日本に特有の不自然なコミュニケーション形式であるらしいのですが、実際のところどうなのでしょうか。 空気を読むというのは明らかに非言語的なコミュニケー…

ことばと自我

小論文対策の授業を任されてしまい途方に暮れています。生徒が書いたものを添削する、くらいのことはこれまでにもやったことがありますが、推薦入試やAO入試に向けてカリキュラムを考えて合格レベルまで持っていくところまで裁量するは初めてですし、諸般…

形式主義的教育

大学4年生のときです。僕は教員を目指す学生達による自主ゼミに参加していたのですが、そこで小論文の対策ということで、お互いが書いた小論文を読み合って互いにフィードバックをする、という活動がありました。 そのときのテーマは「子どもたちの社会性を…